元号の始まりは「大化」でした。

アメリカ横断ウルトラ・クイズの問題は、日本人の一般常識を基本に創られていました。

日本には年代を表す単位として、世界共通の西暦の他に、我が国独特の「元号」があり、長年親しんで来た歴史があります。

西暦は明治維新以後に入って来たもので、古い時代の元号は忘れ勝ちですが、日本史には大切な表現です。

そんな日本史に関する元号を問う問題が、第16回のニューヨーク決勝戦で出されました。

問・江戸幕府が開かれたのは一六〇三年だが、その時の日本の元号は何?

答・慶長

解説 江戸幕府は、慶長八年に徳川家康が征夷大将軍になった時に開かれ、一八六七年・一五代将軍「慶喜」の時に閉じました。

慶長で始まり、慶応で閉じたので徳川幕府は「慶」の文字に縁が深いと歴史の試験で記憶したものでした。

元号の歴史を辿ると、孝徳天皇の時に「大化」(645年)で始まりました。

当時は一人の天皇で、複数の改元がありました。疫病が流行ったり天候不順で凶作などがあると縁起直しに改元していたのです。

この方法で、千五百年近く日本の歴史は進行していたのです。それが徳川幕府が滅び、明治維新で新体制になりました。

明治政府によって、元号法が制定され一世一元の制となりました。天皇が崩御、又は退位した時に改元するという制度です。

近代史では、明治以降、大正、昭和、平成、令和と五つの元号を体験しているのです。

本日の裏話は、元号に関するクイズ問題から、日本独特の暦である元号の歴史を辿ってみました。

昔のように、嫌な出来事がある度に改元していたら、今年は大雨、洪水、コロナ騒動が重なり一年に何回も改元となります。

その度にカレンダーを変え、役所や会社も大混乱になってしまうでしょうね。でも……。

現代社会では、コンピューターの発達によって機械が人間様を支配するような印象なので、大混乱は避けられるでしょう。

結論はお馴染みの言葉になってしまいました。天候異変にコロナ騒動、早く来い来いお正月、でも収まりそうもありませんね~。

 

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