アメリカ横断ウルトラ・クイズの問題は、日本人の一般常識を基本に創られていました。
一般常識の幅は広いので、我々は人物、歴史、社会現象など幾つかの分野に分類し、毎回クイズの数を絞って出していました。
これによって、問題が片寄る事が防げるし、挑戦者の得意な分野が判るので、次の勝者と敗者が予想出来る利点もありました。
これはスタジオでの進行で、司会の高島忠夫さん、石川牧子さんの敗者予想の材料になっていたのです。
キャッチフレーズが「敗者が主役のウルトラクイズ」だったので、敗者の資料は番組の進行上大切な材料だったのです。
前説はこの辺で「人物」に関する問題をご紹介しましょう。第4回のプエルトリコで出された次の問題です。
問・明治に生まれ、日本女子大を卒業。年下の愛人、奥村博史と結婚し「若いつばめ」という言葉を流行させた婦人運動家とは?
答・平塚雷鳥(らいてう)と表した事もある。
解説 一九一一年、女性だけの手で雑誌「青踏(せいとう)」を発刊。その創刊の辞に「原始女性は太陽であった」を執筆。
この言葉は、多くの男性にショックを与えると同時に、有名な一説として教科書にも採用されていましたね。
平塚雷鳥は大きな反響を呼ぶと同時に、女性革命家としての名声を高め、女性の地位向上運動のリーダーとして活躍しました。
肩書は思想家、評論家、作家、戦前・戦後に亘って活動した女性解放運動家の元祖と言える存在です。
彼女は年下の男性と恋愛し、結婚。「若いつばめ」という言葉が流行語になりました。
この語源は、彼と離婚した時に雷鳥自身が発表した小説の文章に有りました。
「静かな水鳥たちが仲良く遊んでいる処へ、一羽のつばめが飛んできて平和を乱してしまった。」と自らの結婚を記しています。
離婚に付いては「若いつばめは池の平和のために飛び去って行く」との文を発表し、一種の流行語になったのです。
「青踏」を発刊した当初には、女性議員として名高い市川房江氏も同志として活動しましたが、意見が衝突し分かれています。
一方の市川房江さんは、日本の女性議員の草分け的な存在として知られていますね。1,945(昭和20年)婦人の参政権を要求。
その結果、その年の12月議員選挙法の改正で婦人の参政権が日本で初めて実現しました。
翌年の昭和21年の参議院選挙では、39人の女性議員が誕生しましたが、市川房江氏はその中に含まれていません。
実は、有権者の登録漏れで参政権も投票も出来ず、自身が議員になったのは8年後の事でした。
昭和28年の参議院選挙に東京の地方区から立候補し当選。以後通算五期、25年間参議院議員を務めています。
その間に、青島幸男氏をはじめとする著名人議員が市川さんの人柄を慕って傘下に入り、昭和の時代に活動しました。
本日の裏話は、日本の婦人運動家に関するクイズ問題から、若いつばめの語源発祥まで、女性の政治家誕生のお話でした。
「若いつばめ」になりたいという若者も結構いるようですが、つばめはやがって飛び去る運命だという事も想定した言葉です。
恋愛に歳の差は関係ない、近頃の若者の考えはそのようですね。とはいえ爺さんが若い女性に持てる事は夢物語ですよ~。