偉大な政治家とは?

アメリカ横断ウルトラ・クイズの問題は、日本人の一般常識を基本に創られていました。

日本人なら誰でも知っている知識です。基礎的な知識は、学校の義務教育で学びます。

また、その他に親や祖父母から伝えられる知識もあるでしょう。更に、新聞やテレビから伝えられる情報もありますね。

一般常識は、これ等の総合的な知識を言う訳で、知識欲の旺盛な人ほど豊富な情報を蓄えています。

第5回のニューヨーク決勝戦で、結構高度な知識を問う問題が出されていました。

問・ワンマン首相と言われた吉田茂が大磯に増改築した家に自ら付けた名は?

答・海千山千楼(うみせんやませんろう)

解説 ワンマン首相だけに数々の伝説を残していますね。「バカヤロー解散」「ワンマン道路」はその代表例でしょう。

 

 

 

 

しかし、ユーモアの持ち主だったようで、その代表例がこの海千山千楼でしょうね。

他人がこう呼ぶのなら単なる悪口ですが、その前に自分で名付けたあたりが笑える話で、この辺が愛される要素だったようです。

吉田茂は、東大を出た後外交官試験に合格。最初は中国などアジアで勤務した後、イギリス大使になりました。

親・英米派大使として、英米との人脈を増やし敗戦を迎えます。総理大臣としては四十五代、四十八、四十九、五十,五十一。

その間にサンフランシスコ平和条約の締結。当時のマッカーサー元帥とも友好的で戦後の日本の礎を築いた政治家です。

マッカーサーが友好の証に「フィリピン製の最高の葉巻を送りましょう」に対し彼は次のように断わったたそうです。

「自分はハバナ製の葉巻しか吸いませんので」と辞退。マッカーサーも大笑いしたとの話も残っています。

政治家としては「吉田学校」の名で政治塾を開き、佐藤栄作、池田勇人、田中角栄等を育てました。

何時も元気なので不老長寿の薬を飲んでいるのでは?の記者の問に「私は人を食っているので元気なのだ」が最後の笑いでした。

昭和四十二年、大磯の私邸で永眠、八十九歳でした。この偉大な政治家らしく、戦後初の国葬になっています。

本日の裏話は、吉田茂元首相のクイズ問題から、吉田首相の人柄に関する様々なエピソードをご紹介しました。

彼のユーモアは昭和天皇をも笑わせたそうです。昭和天皇が「大磯は暖かいだろうね」と呼びかけたところ彼の返事です。

「はい。大磯は暖かいのですが、私の懐は寒うございます」と笑わせたそうです。

結論です。政治家には色々のタイプが有りますが、戦後の大混乱を乗り越えた中には凄い人物が居たのですね。

その点、現代の政治家にはユーモアのセンスがほとんど見られません。笑えるのは笑える失言ばかりのようで困りましたねえ。

国民の望みは、尊敬され愛される政治家です。間もなく選挙があるようですが、候補者の皆さんお願いしますよ~、ホントにね。

 

 

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