アメリカ横断ウルトラクイズで、勝ち残るのは宝くじに当るくらい難しいといわれます。 クイズ番組ですから通常で言えばクイズに強い人が勝者になるのですが、この番組は通常での番組ではありません。 知力の他に体力と時の運が味方してくれないと、敗者になってしまうという落とし穴が仕掛けられてあったのです。 しかも、その落とし穴があちこちに仕掛けられているのですから、挑戦者としては一日たりとも安心できない状況に追い込まれていたわけです。 「こんな不安な気持ちで旅をするなんて、耐えられない!」 と不満を持った方も多いはずですが、その様な旅をした同士だけに番組が終わった後も同窓会という形で、皆さんは良く集まって昔話に花を咲かせている方達が多いのに驚きます。 昔風に表現すると、戦友といった関係でしょうかね。 共に戦地で戦った仲間という事で深い絆で結ばれているものと推察できます。 罠を仕掛けた当事者としては、皆さんいつまでも仲良く同窓会を続けてください、と言いたいです。 さて、クイズ番組ですから本当にクイズに強い人が勝ち残って欲しい、と願っていた視聴者も多かったはずです。 誤解の無いように言いますと毎回決勝戦にまで勝ち進んだ人達は例外なくクイズに強い人達でした。 しかも、体力と時の運にも恵まれた、幸運児が多かったのです。 中でも知力、体力、時の運の3拍子が揃った2人がニューヨークへ駒を進めたのは第8回でした。 福島県郡山市出身の大学4年生、宍戸浩明さん、機内ペーパーテスト第3位の実力者。 対するのは東京都八王子市出身の獣医学部6年生石橋史行さん、機内ペーパーテスト第2位の成績というお二人さんでした。 いずれが武蔵か小次郎か? 長いクイズの旅を戦い続けた最後の決戦には、実に相応しい対戦でした。 毎回決勝戦に勝ち進む人は機内ペーパーテストの1位、2位という上位の方もいましたが、二人揃って2位、3位という組み合わせはこの回が初めてでした。 そして決戦の結果は? 3位と2位を比べるとやはり2位の方が強かったのです。 優勝は石橋さんでした。 ペーパーテストは伊達ではありませんでしたね。
この大会でのお二人は常に一抜けか二抜けを争っていた印象が残っています。
私は8回大会で宮城県からバハマまで勝ち残った方の勇姿を見て大人になったらウル
トラに挑戦しようと思っていました。
8回大会の記事を見て嬉しくなりました。
第8回は内容的に成熟していた時だったので、スタッフの張り切り方も波に乗っていた時代でした。私にとっても懐かしい時代でした。
改めまして、初めまして。
旧ブログで何度もコメントした者です。
8回は後年の恒例となる大声とマラソンの両形式を初導入し、海底でもクイズを実施するなど実験的であり私の好きな大会でした。決勝には成田勝者組首位と2位が進む、まさに頂上決戦でかつ旧パンナムビルでの最後のそれで成田勝者組首位の方(その前年に違うクイズ番組で拝見しました。)がクイズ王となりました。
前述の両クイズでの初代首位通過に象徴されるなど、負ける雰囲気が感じられませんでした。強いて言えば、通せんぼクイズでの今は亡き中央大学の学生が「ウィリアム・ペル」でブロック失敗した局面ぐらいでしょうか。
私はこの大会クイズ王を、今もクイズ神と崇めております。
第8回は初期のスタッフの完成版的な回で、私も思い出が多くあります。永い番組なので、途中で演出陣も少しずつ代わっていましたので、中身も少しづつ変化していますね。ウルトラの技術スタッフは一貫して同じメンバーでしたが、演出は変化したので、印象が変わって来るのは自然の流れと言えるでしょうね。
こんにちは。
第8回の決勝戦は、ウルトラの歴史の中でも数少ない接戦になりましたね。お二人ともに、どのチェックポイントも上位で通過していたように記憶しています(ついでをいえば、第8回ではバハマの海底でクイズをしていたのが衝撃的でした)。
アメリカ本土上陸後は、主として「知力・体力」が物をいいますが、やはりウルトラは「運」だと思います。なにしろ、半分の方がジャンケン勝負で飛行機に乗られないわけですから…(ドームの○×については言わずもがなで…)。
敗者復活戦の有無も、ある意味で「運」ですねぇ。第11回チャンピオンは、名古屋のパチンコでフィーバーを出せなかったら、優勝できなかったわけですし…。
突き詰めて考えてみると、ウルトラクイズの優勝者や上位まで残った挑戦者は、もれなく「強運の持ち主」だと言えますね。「運も実力のうち」とは、よく言ったものです(笑)
ウルトラクイズは社会のシステムをそっくり取り入れたといって良いかもしれません。社会では昔から「運も実力の内」と言われています。運は実力のある人は引きつける力が働くようで、社会の動きを見ているとそんな事が良く起こりますね。運は不思議な動きを見せ、それもウルトラの見せ場になっていました。