アメリカ横断ウルトラ・クイズのルートは日本を出発してゴールはニューヨークというのが基本的なコースでした。
しかし、アメリカへ上陸する前にオーストラリアやニュージランドに寄り道をしたり、アメリカを突き抜けてパリで決勝戦を行うなど変則のルートを組んだ回も有りました。
でも、スタートがグアムかサイパンで、次にハワイを経由してアメリカ本土に渡るというのは、ある種お決まりのコースとなっていて、視聴者も挑戦者も定番のコースと認識していました。
でも、日本を出国してトンボ返りし、最出発という不思議なコースを辿った事が一度だけありました。
それは第6回の事で、サイパンから次のチェックポイント、アラスカに向かうというコースだったためです。
理由はサイパンからアラスカへ直行する航空便が無かったので日本経由となったためです。
日本では成田で1泊して翌日にアラスカへ向う航空便に乗るのですが、スタッフは休む間もなく成田で挑戦者を喜ばせる仕掛けを計画していました。
前日にサイパンで敗者となった挑戦者は20名。彼らは1泊2日のサイパン旅行を終えて失意の帰国をしたのですが、成田に到着すると福留さんがいきなり「敗者復活戦をやるぞー!」と叫んだのです。
いきなり降って沸いた様な朗報に、全員が「オーッ!」と喜びの雄叫びを上げ、目もランランと輝いたのです。
敗者20名の中から4名を復活させてアラスカへ連れて行こうという大ボーナス・クイズ。
20名全員参加の○×札挙げクイズで、4名を選出するという方法です。
ウルトラクイズは夜中に眠っている処を叩き起こしてクイズを仕掛け、負けた人を敗者にするような非情な仕掛けも有りましたが、失意の人間達に突然ボーナスを与える様な、喜びの場面も作りました。
挑戦者の「涙と大喜び」この悲喜こもごもが、大きな味付けの要素だったので、我々は「涙」の落とし穴と同時に、「喜び」の仕掛けも常に考えていたのです。
挑戦者の身になれば、ハラハラドキドキの1か月の旅、ストレスの貯まる心臓に良くない思い出なのでしょうね。
でも、懐かしいという方が多いのが救いになっています。
苦しい思い出、嫌な出来事、これも時間が経つと懐かしい良き思い出に変化する、人間の心は面白い仕組みになっているのですね。
tsutomuさん
第12回も同じようにグアムから成田へ戻り、成田からアンカレッジ→バローへと行きました!
成田でのトランジット時間が、かなり長かったのを覚えています。
santaさん。
挑戦者のかたですね。あなたの記憶が正しいと思います。
成田一時帰国でアメリカに進んだ事は何度かあったのでしょうが、
クイズなどのチェック・ポイントが無いものは忘れてしまっていたので、ゴメンナサイ。
はじめまして。
いつも楽しくブログ拝見しております。
第12回でグアムからアラスカのバローに行く際も成田に戻ったんですか?
12回のグアムからアラスカは、記録に残していないのでハッキリしませんが、多分ハワイ経由か、ロス経由でアンカレッジへ入ったのではないかと思います。アンカッレッジからバローへは飛行機で一っ飛びでした。
こんばんは。
当時は、サイパンとアラスカを直接、結ぶ便がなかったんですね。つい最近まで知らなかったです。
気候はまったくの真逆といえども同じアメリカの領土ですから、てっきり、サイパンからアラスカまで直接、向かっていたと思っていました。
しかし、出入国のチェックをされる空港関係者の中には、「サイパンへ行ったと思ったら、今度はすぐにアラスカ?この団体は何者だ?」と不思議に感じた方もいらっしゃったかもしれませんね(笑)
我がウルトラクイズは成田空港と密接な関係に有りましたから、最初から直ぐ戻って来る事は空港関係者も良く理解していました。でも、出たり入ったり手間のかかる連中だ! という印象はあったかもしれませんね。