日本史は面白い

アメリカ横断ウルトラ・クイズの問題には、日本の歴史に関連する問題が時々出てきます。

日本史の中では、歴史年表に準じて登場人物、誰と誰の戦い、文学、演芸など細かな出来事をクイズ問題にしていました。

中でも一般に日本史が苦手という方の意見を聞くと、人の名前が覚え難いとの指摘があります。

同じ人物が、何度も名を変えたり、親の名前を息子が継いだりするので何代目〇〇となるので混乱し易いとの話もあります。

要は、記憶するのが面倒! という事で日本史を敬遠する事になってしまうようです。

そんな日本史の中でも、比較的覚えやすい「戦い」の問題がありました。

第4回のニューヨーク決勝戦での問題でした。

問・勝負を決する天王山とは、秀吉と誰が戦った山か?

答・明智光秀

解説 1,582年(天正10年)豊臣秀吉が天王山に布陣して、光秀を迎え討ったもので、別名山崎の戦いと呼ばれています。

これは本能寺の変を受け、備中松山城の戦いから引き返してきた秀吉軍が、山崎で布陣を敷き光秀軍を迎え討った戦いです。

この時の勢力は、秀吉軍40,000。これに対して光秀軍は16,000で力的には劣っていました。

この戦いでは、有名な言葉が三つ生まれ、日本語として永く使われるようになっています。それは、以下の通りです。

「洞ケ峠」。有利な方に味方しようと眺めている日和見な人物を指す言葉で、筒井順慶がその人でした。

「三日天下」。本能寺の変から、光秀が敗れるまでの期間で実際は12日~13日ですが、極端に短い日で三日と表現したようです。

「天下分け目の天王山」。大阪と京都の境界に位置する山崎の事で、歴史的には「関ヶ原の戦い」もこのように表現されました。

これは、徳川家康と石田三成の戦いで、家康軍が勝利し江戸時代と呼ばれる長い平和な時が流れました。

江戸時代から明治維新を経て、近代、現代となるのですが、我々は江戸時代までの出来事を日本史問題と呼んでいたのです。

本日の裏話は、比較的解り易い日本史のクイズ問題と、歴史から生まれた日本語のお話でした。

歴史は、書籍やドラマになる素材が多く、ノンフィクションなので調べると結構面白い分野です。

近頃は「歴女」と呼ばれる歴史好きな女性が増えているようで、若しかすると女性の方が勉強が好きなのかもしれませんね~。

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