スポーツ誕生の秘話

アメリカ横断ウルトラ・クイズの問題の中には、知って得する面白い情報が散りばめてありました。

クイズは知識を競う娯楽ですから、面白い話には誰でも興味を持ちます。

物事の成り立ちを調べると、時には失敗が基で、作品が出来上がるという例が良くあります。

例えば料理では、レシピの失敗が美味しい新作の料理になった、とのエピソードを良く聞きますね。

スポーツにも、その様な例があったのですね。

第9回のロンドンで次のような問題がありました。

問・ここイギリスで、フットボールの反則から生まれたスポーツと言ったら何?

答・ラグビー

解説 ラグビーがイギリスで誕生したスポーツというのは、多くの人の常識になっています。

「ラグビー」の画像検索結果

その誕生は1823年の事でした。

フットボールの試合中にエリスという少年がボールを抱えたまま、相手ゴールに向かって走り出したのが、ラグビー誕生と言われています。

諸説ある中で、この少年がラグビー校に在籍していたのは事実です。

その後、ボールも抱えて走れる楕円形に改良。ルールが作られて普及に至ったようです。

当時のフットボールは、手を使っても違反では無かったようですが、ボールを抱えて走ったのがこの少年で、ラグビー誕生の主人公となっています。

今では日本でもラグビー人気が急上昇で、花園の高校ラグビー、大学ラグビー、ラグビー日本選手権など、スポーツ・ニュースの花形になっています。

人気スポーツの誕生物語も、一人の少年の失敗から始まった、とのクイズ問題のご紹介でした。

ご当地問題の理想形

アメリカ横断ウルトラ・クイズの問題には、クイズ会場となる場所に因んだ「ご当地問題」というジャンルがありました。

クイズの場所を移動しながら行う番組なので、視聴者にその地を理解して頂くための、重要な狙いでもあります。

その様な理由で、ご当地問題が数多く創られ、紹介されたのが第9回のニューヨークでした。

ニューヨークは決勝の地ですから、毎年必ずご当地に関する問題は出されていました。

でも、第9回は事情が異なっていたのです。決勝は大西洋を越えて、パリだったのです。

では、ニューヨークのクイズ会場は? これが現代では考えられない、とんでもない企画でした。

セントラル・パークを出発地に、エンパイア・ステートビルまで、目抜き通りを乗っ取ってマラソンクイズをしようという案です。

日本の一テレビ番組が、ニューヨークの目抜き通りを一時ストップさせて、撮影するなど無茶苦茶な企画案です。

ですがこの企画をN・Y市に申し込んだ処「面白そうだ!」とあっさり許可が下りてしまったのです。

毎年アメリカ各地を紹介していた当番組を評価してくれ、その結果だと思います。

ニューヨークの目抜き通りと言えば、あの有名な5番街があります。

トランプ大統領の住むトランプ・タワーも当然その地に存在していました。

この中で、問題のハイライトは有名な宝石店ティファニーの前に差し掛かった時に出された問題でした。

問・「ティファニーで朝食を」という映画で、主演した女優は誰?

答・オードリー・ヘップバーン

解説 ヘップバーンの代表作でもある、この映画の共演はケーリー・グラントでした。

マラソン・クイズは走りながらの出題です。

五番街にはティファニー、ロックフェラー・センターもありその前で関連問題を出す計画でした。

「ティファニーで...」の画像検索結果

問題担当の私は、建物の前で問題を出すよう、解答者の走る速度を見て、クイズ問題を差し替えタイミングを計っていました。

ティファニーの前を通過、この問題が読まれた時には「やったー!」と内心ホッとしたものです。

カメラは映画でお馴染みのティファニーのショー・ウインドーをアップで抑えていたはずです。

ご当地問題は、毎回多数出題されましたが、理想のタイミングはこの時がNO1だったと思います。

このニューヨークの5番街、昨年はトランプ氏がアメリカ大統領に選ばれた為、ニュースで世界中に映像が流されました。

我々は約30年前とはいえ、あの通りを一時ストップして番組を作った、無茶なスタッフでした。

日本人の観光客、今年はニューヨークへ行かれる方をも多いでしょうが、五番街へ行かれたら、この話を思い出して下さると嬉しいです。

 

 

 

世界での日本のイメージ

アメリカ横断ウルトラクイズでは、あらゆる分野の知識が問題となって出題されていました。

インターネット時代の現代では、地球の裏側の出来事も一瞬にして映像で届いてしまいます。

世界中の出来事が、毎日ニュースで届くので、世界の動きが手に取るように解る時代です。

でも、昔は情報伝達が遅いので、世界の動きなど全く知り得ない時代も永くありました。

現代の日本のイメージは、勤勉、清潔な街、親切な民族性など良い事ずくめで、世界からの観光客も増えています。

しかし、西欧人が日本の存在を知るようになったのは、それほど昔ではありません。

13世紀にマルコポーロが「東方見聞録」を書いて、その中で「黄金の国ジパング」と紹介したのが最初と言われます。

つまり、その時代には金が豊富な、大金持ちの国と紹介されていたようなのです。

一体、マルコポーロとはどんな人間だったのでしょう?

第6回のバーストウで、次のような問題がありました。

問・日本を最初に西欧へ紹介した書「東方見聞録」を書いたマルコポーロは何処の国の人?

答・イタリア(ヴェネチア)

解説 彼はヴェネチアの商人で、シルクロードを旅して中国までやって来ました。

しかし、日本へ来た事はなく、中国で聞いた噂話を信じて、日本の事を書いていたのです。

曰く「莫大な金の埋蔵国」多分奥州金山の噂。「宮殿や民家は黄金で出来ている」中尊寺の金色堂。

これ等のいい加減な噂を信じ、大袈裟に表現して書籍で発表したのでしょう。

俄かに信じ難く、マルコは大ぼら吹き、嘘つき呼ばわりされていた事もあるようです。

しかし、西欧で大航海時代に入ると、黄金の国ジパングを目指せ、という航海士も出て来て16世紀には種子島に鉄砲が伝来したのでしょう。

以後、ポルトガルやオランダから、キリスト教をはじめ西欧の文化が我が国にやって来るようになった訳です。

この様に考えると日本のイメージ、最初は現代のアラブの王族状態の、金ぴかの成金だったのかも知れません。

「金閣寺」の画像検索結果

尤も、金閣寺や秀吉の「黄金の茶室」などは、アラブの王族もビックリの金ぴかですね。

やっぱり、日本のイメージは金持ちなのでしょうかね。庶民感覚とはかけ離れているようですが…。

そう言えば集団的自衛権でも、金(マネー)だけ出して兵を出さない、金持ちの嫌らしさが強調されていましたね。

今年はトランプ大統領になって、日本の運命はどの様に変るのでしょう? 不安な年明けと言えそうです。

 

日本人は凄い!

アメリカ横断ウルトラクイズのロケーションでは、アメリカ大陸に限らず、世界各地に足を伸ばしました。

各地でそれぞれの思い出がありますが、第11回でメキシコを訪れた時に、日本人の素晴らしさを痛感した事がありました。

場所は、メキシコのジャングルが延々と続くユカタン半島での事です。

ジャングルの奥地に、森林を切り開いたメリダという都市がありました。

この様な奥地にしては、珍しいほどヨーロッパ風の建築物が建ち、近代化の香りが漂う街でした。

その中に、近代的な病院が建っていたので、ロケハンで立ち寄った時です。

病院の前に、立派な銅像が立っているので、その説明文を読んで早速クイズ問題に使用したのです。

ユカタン半島の新しい観光地、カンクーンでの問題でした。

問・メキシコのメリダにあるオーラン病院の前に銅像が建っている日本人医学者は?

答・野口英世

解説 なんと野口英世の銅像が、ジャングルの奥地の都市の病院に建っていたのです。

野口英世は1919年、42歳の時からメキシコ、ペルー、ブラジルなど南米各地を回り黄熱病の研究をしていたのです。

「野口英世」の画像検索結果

メリダのオーラン病院では、黄熱病の研究の傍ら、医学界に多大な影響を与え、その功績を讃えて銅像が造られていたのです。

世界的な医学者と言えば、何人かに絞られるので勘で答えても正解出来るかも知れません。

でも、彼の場合アフリカのイメージが強いので、慎重になると早押しボタンを押し難い事もあります。

その辺りの迷いが、クイズ問題として取り上げられた理由でした。

地の果てとも言うべきジャングル地帯で、我が同胞の銅像を発見した時には、胸にジーンと来るものを覚えました。

正に、日本人の凄さを現すエピソードとして、ご紹介しました。

 

時の流れは早いもの

アメリカ横断ウルトラクイズの問題を振り返って眺めると、時の流れの速さを感じます。

ウルトラクイズの第16回は、今から25年前に放送された番組ですが、当時話題になった人達が、問題に取り上げられています。

当時、14歳で初めてオリンピックに出場した女の子が、何と金メダルを獲得、話題になりました。

勿論、彼女の名前を当てるクイズ問題も、当然ありましたね。

岩崎恭子ちゃん(当時の呼び方)ですが、今ではオリンピック水泳の解説者として昨年は活躍していました。

25年も経っている訳ですから、可愛かった少女も中年の域に入っていますね。

時の流れの速さを語るのは、老人の特色と思っていましたが、私自身がその心境に入っていたのです。

25年前のグアムで、次のような問題が出されていました。

問・今からちょうど八〇〇年前、日本に開かれた幕府は何?

答・鎌倉幕府

解説 受験では「良い国作ろう鎌倉幕府」1,192年をこの様な語呂合わせで記憶した人も多かったはずです。

ですが、時代が流れるとこの常識も変化しているので、驚きました。

「鎌倉幕府」の画像検索結果

今では「良い箱(1185)作ろう」に変化していたのです。

鎌倉幕府は頼朝が征夷大将軍になった1192年より前の1185に遡っていたのです。

理由は1185年に、各地に守護、地頭を置き権力の地盤を作っていた。

従って、実質的に幕府が開かれたのは1185年で或る、との説が有力で歴史の常識が変化していたのです。

恐らく、歴史学者が新説を唱え、文科省も認めて小中学校の教科書も変化したのでしょう。

と、なればこの情報を知らない年長者が、現代のクイズ番組で「鎌倉幕府は1192年」と解答したら「ブー!」となるはずです。

時代の流れは、クイズ問題の正解も変えてしまう、珍しい例ですが、発見をしたのでご紹介してみました。