緊急事態で罰ゲーム免除?

メリカ横断ウルトラ・クイズは17回も行われたので、例外的な出来事も時々起ります。
特に最初の頃は、我々も手探り状態でスタートしたので、思わぬハプニングに見舞われる事もありました。
例えば、第2回の第9チェックポイント、デンバーでの出来事は反省材料が多く、その後のクイズ形式のアイディアに大きな影響を与えています。

本来、クイズ形式を考える時には、回答者が苦戦する様子が面白いという目的がありました。但し、その苦戦の状態にはユーモアが感じられるものでなければ、視聴者は楽しんでくれないでしょうね。
だから、バラ撒きクイズのように、苦しみながら走り、ようやく問題を拾ってきて、封筒を開いたら、なんと「ハズレ!」というカードが出てくる。
挑戦者のがっかりした顔と、福留さんの意地悪そうなコメント、このコントラストが笑える材料となって、定番のクイズ形式になりました。

バラマキクイズ

ハズレ

論、新しいクイズ形式の場合は事前にシュミュレーションを行って、安全性を確認して本番に臨んでいましたので、大きな事故も無く番組は進行していました。
でも、考えてみれば第2回の頃は、はまだそこまでの事前準備はなされていなかったように記憶しています。
その結果、アイディアが先行して本番に臨んだために、ハプニングが起きたのだと思います。

この時のクイズ会場はデンバーから車で2時間ばかり移動したコロラド・スプリングスでした。 
ロッキー山脈の1つ、パイクピークは、まだ9月だというのに山は雪で気温はマイナス2度Cという環境です。

pikes-peak

ここで行われたのは、「酸素欠乏・耐寒クイズ」と題した、挑戦者にとっては身体的に厳しいクイズ形式でした。
この場所は標高4,000mで、普通に座っているだけでも酸素が薄いので、行動がしんどいのです。
その上、マイナス2度という中で、お手付き、不正解の場合は、着ている物を1枚づつ脱いでいかなければならないというルールでした。
勿論、我々は緊急に備えて酸素ボンベや毛布は十分に用意していました。

も、番組が進行するうちに、誤答を繰り返す人は、次々と衣装を脱がなければなりません。
結果的に不運に見舞われた敗者は、半袖のTシャツ1枚になってしまったのでした。
酸素が薄い上にマイナス2度C。
しかも敗者は若い女性だったので、急遽ドクター・ストップがかかってしまったのです。

その時に準備されていた、寒ーい体験の罰ゲームは中止となってしまったのです。
むしろ、勝った人達も含めて、クイズそのものが罰ゲームみたいな状態でした。

広辞苑も信じるな!裏付け調査の徹底

メリカ横断ウルトラ・クイズでは、クイズ問題の信頼性が番組の命といった考えが、スタッフ全体に行き渡っていました。
何故なら、第1次予選には参加者が全国から、交通費自前で集まってきます。
そして、名物となった○×問題で東京ドームの芝生の上を走りにたい、と夢を叶えるためにやって来ているのです。

後楽園予選

そこで出題されたクイズ問題の正誤が、もし間違っていたら?
想像しただけで、恐ろしい事になりそうです。
勿論、番組は成立しないし、現場はパニック状態になってしまうのは予想出来ます。
だから、何があっても問題は確実に、正誤がハッキリと分かれ、しかもそれに誤りがあってはなりません。

そのために、クイズに採用された問題の裏付け調査は徹底的に慎重に行われました。
チェックマンは、毎年何人かは入れ替わりましたので、その都度注意していた言葉があります。
「広辞苑と言えども信じるなよ!」
その位、慎重にと言う意味でした。
何故なら、「広辞苑」や「現代用語の基礎知識」を開くと、どのような問題でも裏付けが取れそうな気がするのです。
しかし、専門家によっては解釈が異なる場合もあり、多角的に裏を取らなければ安心は出来ないのです。
1問に付き、我々は3重のチェックをしていたのです。

広辞苑

れは慎重すぎる、と言う意見も有りましたが、広辞苑と言えども人間が作ったものですから、間違いが無いとは言えませんよね。

実は、最近テレビを見ていたら「広辞苑の誤り」というお話がテーマになっていました。
出版元岩波書店の言い訳は、江戸時代の書物から引用した、と言うのですが、当時その事象の裏付けは取っていなかったらしい。
担当は何十年も前の人だから、真相は解らない、との事でした。
人間がやることだから、そのような事もあるでしょう。
いや、あれだけ膨大な辞書ですから、1つ1つ全部の説明の裏など取れるはずは無いでしょうね。
だからと言って、ウルトラクイズではそのような言い訳は出来ません。

当時、クイズ問題をチェックをしたメンバーにしてみれば、我々の厳しい注文が今頃になって理解出来るのかもしれません。
彼らのお陰で、17年間問題で大きな問題も発生せずに、番組が進行できた事は奇跡に近いと思います。
このような裏方のお話は、あまり話題になりませんが、実は彼らも番組を支えた功労者でした。

古代インドの宇宙観

スタッフ全員が涙

メリカ横断ウルトラ・クイズは全部で17年間にわたって放送されました。
ですから、1回から17回までが番組のリストにあります。
しかし、細かく言えば「史上最大の敗者復活戦!」という番組が1,982年に別枠で作られているのです。

自由の女神2

この、別枠の敗者復活戦に関しては、私も思い出が沢山有ったので、昨年の11月に3回に分けて、このブログで書いています。
その話と重複しない内容で、もう1つ思い出した事が有りますので、今日はそのお話を書いてみようと思います。

は、この番組は私にとってプロデューサとしてのデビュー番組だったのです。
それまでの私は、番組の構成作家として参加していましたが、全く突然に
「プロデューサーを引き受けて欲しい」
と要請され、引き受ける羽目になってしまいました。
その辺の経緯は前に書きましたので、省略いたしますが、この番組にはあまりにも悪い条件が重なっていました。
 
その1、準備の時間が少なすぎる。
その2、放送枠が悪すぎる。大晦日のNHK「紅白歌合戦」の裏番組である。
テレビ業界では、この枠で番組を制作するのは自殺行為に近いと言われている枠なのです。
その3スタッフが少ない。
この様な悪条件で番組を引き受けた訳ですから、仲間からは「お前はアホか?」と言われたものです。

だけど引き受けたからには、最後までやり抜かなければプロとは言えません。
準備の時間が少ないのは、頑張れば乗り切る事が出来るでしょう。
但し、クイズ問題に関しては全て私に任せて欲しいという条件を出し、これを了承させたので、普通よりは気持ちが数段楽になりました。

「紅白の裏番組」という問題は、実はその数年前に「裏番組をブッ飛ばせ!」という低俗番組と悪評の高かった番組を構成作家として参加していたので、驚くほどの事では有りませんでした。
問題はスタッフが少ないという点です。
ウルトラ・クイズを経験しているディレクターは、全員その年に放送される番組の仕上げ作業に取りかかっていたので、1人も参加できません。
そこで、私は高校生クイズの経験者をはじめ、日頃親しい仲間に声を掛け、参加してもらう事にしたのです。
 
ところが、彼らにも周囲からチクチクと嫌味な言葉が耳に入って来たそうです。
「ウルトラ・クイズを傷つけるような番組を作るなよ」

これは、受け取りようによっては励ましの声かも知れませんが、プレッシャーになる事だけは事実です。
そうなると、構成作家も、ディレクターも本編よりは、少しでも優れた作品を作ろうと、全員の心が1つにまとまってくるものなのですね。
「なにくそ、本編に負けるものなんてつくるか!」
という反骨精神です。
お陰で、会議では面白いアイディアも沢山出されたし、実にチームワークが良く、短い期間でロケも順調に進行しました。

そして大晦日の決勝戦生放送のぶっつけ本番でした。
我々が、サブコン〔番組をコントロールする副調整室〕に入ると、何とそこには日本テレビの幹部がずらりと顔を揃えていたのです。
大晦日ですから本来なら自宅で家族と団らんの時のはずです。
それを、我々の番組のために個人生活を犠牲にし、生放送に立ち会ってくれていたのです。
これだけで、この番組が如何に期待されていたかが覗えます。

後の決勝戦が終わり、エンディング・テーマ曲がかかると、幹部の皆さんが全員が立ち上がって、我々スタッフに向かって大拍手となり
「面白かった、有難う。ご苦労さん!」
と声を掛けてくれたのです。

それを聞いたTディレクターの目からぽろぽろと涙があふれ出ました。
恐らく、本編を傷つけるような作品になってはいけない、という緊張の糸が切れたのでしょうね。
この涙はその場に居合わせた全スタッフに、次々と伝染し、感動の涙の渦となったのです。
それまで、私は感動で涙を流した経験は有りませんでしたが、この時ばかりは、それを抑える事が出来ませんでした。
仕事で、これ程感動出来るなんて、実に良い職種を選んだものだと思いました。
その意味では、ウルトラクイズ 有難う と言いたいです。

水滴