エピソードの多かった回

メリカ横断ウルトラクイズの思い出を書いていますが、今までのブログで一番多く取り上げたのは第12回だったように思います。
この回はアメリカ大陸のてっぺん北極圏から、一番下の南極圏まで南北アメリカ大陸を縦断しようというとんでもない案が出され、それを実行してしまったのですから、珍しいエピソードも沢山有りました。
私の手元に残っている資料でも、他の回に比べると大きな数字が残っていました。

ず、移動のために乗った航空機ですが、18回乗っています。
これが一番かどうかは確かめてありませんが、18回というのはかなりの距離を移動した証拠でしょう。
この移動距離も55,000kmとありますので、地球一周が40,000kmですから、それよりも15,000kmも多かった距離と言えます。
一つのテレビ番組で大勢のスタッフがこれだけの移動をするなどという番組は、恐らくこの12回を除いてあり得ないと思います。

それだけ移動するとなると、気温の寒暖差も大きくなるのは当然です。
最低気温が氷点下12度のバローでした。

Barrow

ここは北米大陸の最北端の街で、北極圏にあります。
その寒さは今年の寒さとは比べ物になりません。
我々がバローの空港に着いた時には、外は猛吹雪でしたが、出迎えてくれた現地のスタッフは全員Tシャツ姿で驚きました。
「こんなに寒いのに何故Tシャツ?」
と聞いたところ
「雪が降るのはまだ温かい方さ」
と笑っているのです。
その時は9月でしたが、真冬になると雪も降らない氷の世界になるとの事です。
真冬に雪が絶対に降らないという事実はないと思いますが、現地の人はその様に発言していました。

にこの回で一番温度の高かったのは、モハーベ砂漠の摂氏37度でした。

モハーベ砂漠

人間の体温よりも高いのですから、このような環境の中で行われた「ばら撒きクイズ、2問勝ち抜け」は拷問のようなクイズでした。
勿論、挑戦者だけに苦しみを押し付けている訳ではありません。
そのような中で撮影するスタッフだって、大変なエネルギーが消費されます。
そのような環境の中で、クイズのセッティングから撤収まで、終わった後には全員がふらふら状態になっています。
とはいえ猛暑の中でのばら撒きクイズは定番になっているので、我々には慣れた作業の一つと言っても良いでしょう。
それでも毎回ふらふらになるくらいきつい撮影なのです。

この回に消費されたクイズ問題数は25,185問、そのクイズを作った問題作者は64名でした。これは例年とあまり変わらず、特に多いという訳では有りません。
又、この回に関わったスタッフの数は169名、内逃亡者3名とのメモが残っていたので、途中で逃げ出したスタッフが3名いたのだと思います。
但し、ロケの途中で逃げ出したという訳では有りません。
その様な人間は17回の中で1人もいませんでした。
テレビを見ていると楽しそうなロケに見えるでしょうが、このように数字で振り返ってみると、結構ハードな番組作りだったのが解ります。
今だから話せる裏話でした。

クイズ研の対抗策

メリカ横断ウルトラクイズが始まって何年かすると、全国の大学にクイズ研究会というサークルが沢山誕生しました。
我々はクイズ研究会を嫌っていた、という噂が飛び交った事が有りますが、決してその様な事実は有りません。
多分スタッフの誰かが新聞か、雑誌のインタビューで、不用意に喋った話に尾ひれが付いて、そのような噂になったのでしょう。

クイズ研究会はクイズが好きな人達の集まりですから、むしろ我々にとっては有難いお客様なのです。
その様な大切なお客様を番組スタッフが嫌うはずがないでは有りませんか。
ただ、大学のクイズ研しかクイズ王になれないとなると話が変わってきます。
一般の人の参加意欲が落ちてしまっては、番組の当初の目的「誰でも楽しめるクイズ番組」ではなくなってしまいます。
クイズ好きは大歓迎、しかし、一般の人も同じように楽しめる番組でなければ、長続きしないでしょう。
だから、クイズ研の皆さんだけに番組を独占されないような問題作りをしなければなりません。
それが、問題担当の私に課せられた大切な使命でした。

のやり方を具体的に知りたい、というコメントを頂きましたので、本日はそのさわり程度の具体例を書いてみたいと思います。
クイズ研の皆さんは、クイズに出そうな常識的な知識を毎日訓練しているはずです。
例えば日本で一番高い山は問題になりませんが、2番目、3番目くらいは知識に加えているでしょうね。

富士山を問題にするにしても、日本には○○富士と呼ばれる山があります。
青森県の岩木山は、別名「津軽富士」。では鳥取県の大山は別名何富士?
第12回の決勝で出された問題です。

このように変化させて問題にしていました。クイズ研の皆さんはその様な日本中の「○○富士」というような問題は当然知っているでしょう。
しかし、一般の方でも答えられるレベルです。
・伯耆富士(出雲富士でも可。大山は1729mで、中国地方では最高峰の山です)

同じように一番広い湖、一番長い河、都道府県の人口、広さ、この様な学校の社会科で、或は理科で、音楽で、国語の授業で習って、テストに出る様な常識問題をストレートに問題にするような事は一切しませんでした。
この様な問題をクイズにしたら、普段訓練をしているクイズ研の皆さんが一番に早押しボタンを押すのが目に見えてきます。
多分問題を読んでいる途中で先を読んで押してくるでしょう。
我々が一番嫌っていたのは、問題を最後まで聞かずに早とちりする挑戦者です。

何故かと言えば、先を読んで正解が解るような文章に仕上げていないという自信が有ったので、そのような場合は当然誤答になってしまいます。
誤答になると折角作った問題が、無駄になるので、その様な早とちりがないように、現場では問題を最後まで聞くように、福留さんが時々注意をしていました。
毎年、早とちりをするのは残念ながらクイズ研の皆さんだったのです。
このような事実の積み重ねが、スタッフがクイズ研を嫌っていたという話に変化したのかも知れません。

では、我々のクイズの作り方です。
学校のテストのように、うわべだけ知っていれば点数になる、というような問題は少なかったと思います。。
例えば学校だと、文学でも作品名と作者が解れば正解になるような問題が多いですよね。
文学作品群があって、作者と線で結べというようなテストです。
他のクイズ番組の中には、その様な単純な問題がありますが、我々の番組では少なくとも、作品を読んでいない限り、正解は得られないという目線で問題を作っていました。
だから、試験勉強のような一夜漬けの丸暗記ではダメなのです。

えば歴史の問題でも、徳川幕府の何代目の将軍は誰? と言ったような問題は一問もありません。
但し、将軍の残した功績を挙げて、それは何代目将軍? というように少なくとも歴史を学んだ知識の中から、将軍の名前を当てる様な問題はあったと思います。
つまり、上部だけの知識ではなく、少し中身に入り込んだ知識、それも意外性のある問題が好まれて採用されていました。

答を聞いて、「ああ、そうだったのか」と視聴者が一つ知識を増やす、それが理想の問題です。だから、雑学辞典に出ていた、というような知識は極力避けて問題のセレクトをしていたのです。
例えばこれも漢字の盲点でした。
・よく似た姿の「アヤメ」と「ショウブ」。漢字で書くと全く同じ文字である。

アヤメ

ショウブ

解説 両方とも漢字では「菖蒲」と書くのです。

いずれがアヤメ、カキツバタ、というように姿形が見分け難い上に、漢字の表記が同じというややこしさ、それにショウブが加わると頭の中が混乱して来ます。
何故、同じ文字なのだろう?という疑問も起こってきます。
この様に、番組の後、余韻が残る問題は、家族の会話にもなりますし、良い問題と私達は考え問題を作っていました。
でも、何故同じ文字なのでしょう? 解った人は教えてください。

泥んこクイズの決定版

メリカ横断ウルトラクイズのクイズ形式で圧倒的に人気の形式はグアムの泥んこクイズでした。

泥んこクイズ

このクイズ形式から派生したテレビで、泥んこプロレスという人気番組がありました。
実は、我々も或る時、泥んこプールの中で取っ組み合いのゲームが出来ないものか、考えていました。
それを実現したのが第8回の時です。
この年はグアム島の浜辺を離れて、グアム島の南の沖、4キロにポッカリと浮かぶ夢の楽園、ココス島がクイズ会場でした。
エメラルドグリーンの海に、輝く白砂、泥んことはまるで縁の無いような美しい環境に到着した挑戦者は、「もしや今年は泥んこではない」とかすかな望みを持ったかもしれません。
しかし、あれだけ期待される「泥んこクイズ」を中止するほど我々はお人好しでは有りません。
真っ白な砂浜に、グアムの赤土をこってりと練り込んだ泥んこプールが用意されていたのです。

の年、グアムに生き残った40名の中から、次のハワイへ進めるのは25名でした。
(実はまだまだ落とし穴があって、実際にハワイへ行ったのは24名でしたが)
この場の×クイズで15名が落ちればピッタリの計算です。
しかし、結果は18名の挑戦者が敗者になってしまったのです。
そこで、念願の敗者復活戦が行われる事になりました。
我々が待ちに待った、泥んこプールの中の、泥んこまみれのバトルが実現する事になったのです。
18名が泥んこプールの中で、激しい戦いをするにはこの手しか有りません。
泥んこプールの中に浮かんだボールを奪い合うのです。
名付けて「泥んこボール争奪戦」
敗者達が飛び込む泥んこプールには数字の書かれたボールが浮かんでいます。
クイズの答えは全て数字で表されているのです。
泥んこプールの中で、このボールを奪い合うわけですから、泥んこプロレスに近い争奪戦が演じられる事になりました。
この戦いで3人が敗者復活を果たしたのですが、因みにその時の問題は以下の通りでした。

・「死んで最初に渡るのは何途の河?」
・「卍という字の画数はいくつ?」
・「不動産広告で駅から徒歩5分と言ったらこれ何百メートルの事?」

・三途の河
・六画(最初に十を書いて、カギを付けていくと十と4で6画になります。
・400メートル。(徒歩の所要時間は1分が80メートルと定められています。従って5分は400メートルになります)

この様な壮絶なバトルで勝ち抜いた敗者でしたが、その夜には
「時差ボケ調整、暁の奇襲作戦、敗者たらいまわしクイズ」
という情け容赦もないクイズが待ち受けていたのです。
挑戦者を休ませる事の無いこのスケジュール、勿論スタッフも休み無く準備を重ねていたので、本当に疲れる番組でした。
若しかすると、我々の中にサドという悪魔が棲み付いていたのかも知れません。