君が代の話です

アメリカ横断ウルトラ・クイズの問題を振り返って、正月に関連する問題を探したところ適当な問題がありました。

それは、第9回の後楽園球場、第一次予選で恰好の問題が出されていました。

問・「君が代」の歌には、二番がある。〇か✖か?

答・×

解説 「君が代」は元々和歌なので、二番はありません。

我々は子供の頃から、国歌として認識しており、スポーツでの国際大会で演奏を聴く機会が多々ありました。

処が、驚く事に「君が代」が正式に日本の国歌として、法律的に定められたのは、20年程前の事だったのです。

そこで「君が代」の歴史を調べたところ、様々な経緯を経て今日に至っている事が解りました。

10世紀の初頭、日本最古の「古今和歌集」にこの和歌が登場しています。「詠み人知らず」なので作者名は不明です。

男性か、女性か? いずれにしても天皇、或はその周囲の貴族の誰かなのでしょう。

庶民や武士階級は、まだ和歌など知らなかった時代ですから。

この和歌は1,869年(明・2年)宮内省の役人によって選ばれ、雅楽課が旋律を決めました。

その後、ドイツ人が世界共通の音符で編曲、1,893年(明・26年)文部省の告示以降「国歌」として定着したのだそうです。

でもまだ、法律で定めた正式な国歌では無かったのです。

法律的には、平成11年「国旗及び国歌に関する法律」で正式な国歌と決まったのです。

因みに「君が代」は世界で最も短い「国歌」なのだそうです。今後のクイズ・ネタとして記憶して下さい。

本日の裏話は、我々が親しんでいる「君が代」に関する、歴史の一端のご紹介でした。 二番はありません。念のため!

 

正月料理は故郷の味

アメリカ横断ウルトラ・クイズの問題を振り返ると、正月に関係のありそうな問題がありました。

日本の正月と言えば、お節料理にお雑煮と決まっていますね。しかも、地方によって料理法や味付けも異なります。

近頃は、グルメ・ブームなので、毎年の年末にはテレビで全国各地の自慢の正月料理が紹介されています。

全国の味に関するクイズ問題が、第15回のグアムの突撃〇×泥んこクイズで出されていました。

問・うどんのつゆと同じように、「七味唐辛子」の色も関西より関東の方が濃い。〇か✖か?

答・〇

解説 関東の七味は、関西に比べて色が濃く味も辛くつくられています。つゆなどの味も濃いので、合わせているのだそうです。

因みに七色唐辛子の主な材料は、唐辛子の他、山椒、麻の実、黒ゴマの4種が共通。

後は、芥子の実、青のり、生姜、陳皮(みかんの皮)、紫蘇などの香辛料を好みに応じて加えます。

昔は、客の目の前に材料を並べ、客の好みに応じて調合。その口上が面白く多勢の客が集まり大道芸になったそうです。

何時の時代にも、笑いを誘う芸人がいるものですね。

処で、新しい情報を一つ。七味唐辛子(しちみ)というのは上方風の呼び名なのだそうです。

江戸っ子は七色唐辛子(なないろ)と呼び、上方と差別していたとの事。味と色の違いで、大した違いはありません。

近代の多くの辞書では、七味とは言わず七色唐辛子を標準語として扱っています。

本日の裏話は、正月料理の話が大きくスライスして、薬味の一種である香辛料(スパイス)の話になってしまいました。

それでもグルメの皆さんは、スパイスも料理を引き立てる立派な要素であると仰る事でしょう。

 

おめでとうございます

アメリカ横断ウルトラ・クイズの問題の裏話を書き始めて、5度目の新年を迎えました。

このブログは、月、水、金曜日と週に3回公開しているので、1年に162話、5年で810話以上書いて来ました。

この先、どの位の思い出話があるのか?

記憶力も減退気味なので不安もありますが、先ずは出来る限り書いて行きたいので、宜しくお願いいたします。

さて、平成の年号は昨日までで、本日から新しい時代に入ります。天皇陛下が譲位、今年は新しい年号になります。

ウルトラ・クイズでも年号や皇室に関する問題は、時々出ていましたが、その中から印象深い問題を選んでみました。

第11回のデビルスタワーで、次の問題がありました。

問・聖徳太子が皇太子だった時の日本初の女帝は誰?

答・推古天皇

解説 推古天皇の即位と共に、太子は皇太子となり摂政として国政に当りました。

聖徳太子に関しては、馬小屋で生まれ厩戸(うまやど)の皇子と呼ばれました。

遣隋使を派遣するなど中国の文化、制度を学び日本初の17条憲法を作成。中央集権国家の基礎を築いた人です。

仏教を取り入れ、神道と共に信仰の大切さを全国に広めた、など様々な伝説が残されていますね。

上記は日本人の一般常識ですが、近代の歴史学者はこれらは伝説であり、太子は実在していなかったとの説も有力です。

その理由として、聖徳太子の名称は没後129年も後に付けられたもので、古事記や日本書紀にも記されているとの事です。

とは言え、モデルになった人物は確かにいるが、功績に関してはその時代の知恵者との合作であろうとの推測です。

となると、聖徳太子が建立したとされる大阪の四天王寺、奈良の法隆寺などはどの様な扱いになるのでしょうか?

クイズ・マニアとしては気になりますが、今では聖徳太子は架空の人物とする書物が多数出版されているのです。

歴史的に日本で最高の偉人とされていた、あの聖徳太子は架空の人物と言われても、今更まともに信じる事は難しい!

最高の人物だから、最高の金額壱萬円札にもなっているのです。それが一般の心情でしょうね。

一般の日本人は、歴史上で日本一の偉人と言えばで,聖徳太子と相場が決まっています。

第一、壱万円札さまを嫌いな人なんて、この世に存在しません。だから聖徳太子が架空の人物などの寝言は聞きたくない!

新年初の裏話は、聖徳太子は歴史上日本最高の偉人である、との再確認を提案した次第です。